vol.103 あゆくさんってすごいのね
アートとは?皆さんの回答③
あゆくさんの回答「新鮮な感覚をもたらすもの」
・日常的な石垣りんの詩から永遠を探る
・作品にこめられた魂の震え-あゆくさんの良い文章
・作品が成就するのはどの時点?
・アートが多様性を持つ瞬間
・ドン・ファンの好きな詩
はい、こんばんは。今日は4月24日。あゆくさんからアートに関して回答が来てますね。
『こんにちはと。なかなか楽しいことになってますね。
アートの非日常について私も昨夜から考えていました。 何かしら新鮮な感覚がもたらされるものがアートたりうる、と自分なりに解釈しました。』
そうですね、そう思います。
『日常性を扱って、なおかつアートたり得ているものが、これを考えるのにちょうどいい。
古池や…も日常的な光景ですが、この句は禅の公案にどうこういうような難しさを感じるのでパス。 』
そうだね、禅の考案みたいなものなんだよね。宇宙全史って前も言いましたけどね、禅の考案ってのはいいですよね。
かっこいいですよね。なんか、うん。
『自分が昔とても新鮮に感じた詩を考えてみましたと。「シジミ」これ、石垣りんさんっていうのかな。書かれたんでしょうね。
「シジミ」
夜中に目をさました。
ゆうべ買つたシジミたちが
台所のすみで
口をあけて生きていた。
「夜が明けたら
ドレモコレモ
ミンナクツテヤル」
鬼ババの笑いを
私は笑つた。
それから先は
うつすら口をあけて
寝るよりほかに私の夜はなかつた。
『「シジミ」
夜中に目をさました。ゆうべ買ったシジミたちが』
シジミ買ったのね
『台所のすみで口をあけて生きていた』
やりますよね。水の中でパクパクパクパク砂抜きやるときになりますよねえ
『夜が明けたらドレモコレモ ミンナ クッテヤル」鬼ババの笑いを私は笑った
それから先は うっすら口をあけて寝るよりほかに私の夜はなかった』
『ここに描かれた情景は「シジミの砂抜き」というとことんの日常です。 』
とことんだね。
『ですが当時私は大変新鮮な印象をこの詩から受けました』
そしたら、すごいね、やっぱこのあゆくさん、あゆくさんだよね、あゆくさんって人は。
『では何がこの詩を新鮮なものにしたかと考えると、やはりそこには詩人の視点そのものです』
文章おかしいけどね
『ここは明らかに、他の生命を殺し、その死骸を食べることへの恐れ、痛み、 自虐的諧謔がありますと』
うん、そうだね。
『そして口を開けたシジミ、口を開けて眠る私の重ね合わせから、
「私もまた何かに食われる存在だ」という詩人の洞察も浮かび上がってきます』
すごいね、この人、この人。つか、あゆくさんがね。 この人もすごい。この詩を書いた人も。
『非日常であるのは観察者のその対象を見るまなざしであり、作品にこめられた魂のふるえなのではないでしょうか。
そしてそのエネルギーが見るものに共振を起こすほど大きいとき、その作品はアートと呼ばれるのではないかなと』
全くその通りです。でね、これはあれだよね、本当にいい文章ですよ。
1つはね、そのアートが生まれるのはいつかっていうとこだよね。
まんだらけの会長というか社長時代に、古川はその作品が成就するっていうか、その漫画の漫画ですけどね、漫画でもなんでも、作品が成就するのはどの時点かっていうのを問いを投げかけたことがあるんですよ。大体みんなその作家が書いた、あるいは書き終わった、あるいは出版した本になった、言いますけども。
本当に成就するのは、読者が読んで感銘を受けるなり、駄作だと思うか知らんけども、その時ですよ。
だからね、作品の完成にその読者っていうか、まんだらけの場合はオタクがターゲットなんですけども、オタクってのはすごいやっぱ鋭い感性持ってるから、 彼らが印象をその作品から受けた時にその作品が完成するわけです。
その作品の完成ってのはもう千差万別、多種多様、いっぱいあるわけですよ。受けた感動の分だけ。作品は1つだけどね。
だからアートってのは多様性を持つよね、その時に。
ピカソの絵にしたってゴッホの絵にしたって手塚治虫の漫画にしたって、音楽も一緒ですよ。
みんな受け取る様が、様々でしょ。言い方が変だけど。
そういうことやね。だからこれはあゆくさんはこの詩を通してこういう印象を受けた。
その恐れと、なんだっけ、いいこと言ってたよね。
痛み、自虐的な諧謔、哀れみも多分この文章からすると覚えてるよね。
それはすごいよね。それはだから、あれだよ、空海とか仏陀とか慈悲っていうとこだよね。
ま、慈悲までは行ってないんだよ。
自分たちのありように対しての恐れ、その寂しさみたいなを感じてるってとこは、この詩から感じたってのはすごいですね。
ああ、 意外とすごい人ね、あゆくさんは。
『石垣りんは、明らかにエネルギーのやり取りに感づいている詩人です。私はそこに惹かれたのだと思います。
その悲しみには暗い重さがありますが、そこに込められた痛みの感覚、
私たちは食ったり食われたりしている存在だと見通す視線に非常に鋭いものがあると感じます。
もう1つあるね、
「くらし」 石垣りん
食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙。
すごいね、これはね。わしも涙が出てくるわ、これは。
これもそうなんだね、きっと、この詩人が書いてるよね。
あゆくさん、すごいね。
ドン・ファンがね、荒野でカスタネダをレクチャーしてるじゃないですか。カリキュラム、いろんな。
何回か、あれなんだよね、ドン・ファンが感動じゃないんだけど、深い印象を受けた時があって、 その時にカスタネダに詩を読んでくれって言うんですよ、自分の好きな詩をね。
カスタネダも印象深い詩があって、それをドン・ファンに読んだことがあって、ドン・ファンはなるほどって思ったらしいんだよね。で、 何回か読んでもらってるみたいなんだ、ドン・ファンが。そういう時に読んでくれっていうわけですよ。
もちろんドン・ファンほどの人なら共感することはないと思うんだけども、それでもなおかつ、あえてその詩人のその詩に対して共感したいと思う時があるんだろうね。
やっぱ詩ってすごいよね。逆に言うとアートってすごいよね。
あゆくさんってすごいよね。驚いた。
はい、今日ここまで。
(※ドン・ファンの好きな詩)
…この飽くことを知らぬ、執拗な死が
この生きながらの死が
神よ、あなたを滅ぼしてゆく
あなたの精妙きわまりない細工の中で
バラの中で 石の中で 不朽の星々のなかで
そして歌に、夢に 目を射る色彩に照らされる火のように
燃え尽きたうつしみのなかで
…そして神よ、あなたはその場所で
無窮の時を、死に続けてきたのだろう
われらが何も知らぬうちに
あなたの灰、かけら、澱
でもあなたはまだそこにいる
自らの光に欺かれる星のように
星なき光はわれらに達し
限りなき破滅を われらから隠し続ける